小さなお子さんのいる家庭には
欠かせない存在である【おかあさんといっしょ】。
そんな【おかあさんといっしょ】を
60年にわたり支え続けている
”体操のおにいさん”。
1970年代に番組を支えた
体操のお兄さんにはどんな方がいるのでしょうか?
という記事Part2になります。
Part1はこちら
(4代目 向井忠義さん&小西幸男さん、6代目 輪島直幸さん)
【おかあさんといっしょ】歴代の体操のお兄さんをご紹介!1970年代に務めたのはだれ!?
今回は、7代目の体操のお兄さん川原洋一郎さんと
と8代目の体操のおにいさん瀬戸口清文さんについて
まとめてみました!
目次
7代目 体操のおにいさんは川原洋一郎さん
7代目 体操のお兄さんを務めたのは、
川原洋一郎さんです。
在任期間歴代最短の1年間!
1年て…めっちゃ短いですね…笑
体操は「ジャンポンポン」
川原洋一郎さんが担当した体操は
「ジャンポンポン」です。
1969年10月から始まった「ジャンポンポン」。
4代目体操のおにいさんの向井忠義さん&小西幸男さん、
6代目体操のお兄さんの輪島直幸さん、
そして7代目体操のお兄さんの川原洋一郎さん。
4人のおにいさんが行ってきた「ジャンポンポン」ですが、
1974年3月で終了し、「地球をどんどん」に
代わります。
そのため、
川原洋一郎さんは輪島直幸さんと共に、
”最後に「ジャンポンポン」をしたお兄さん”になりました。
一緒に体操のお兄さんを務めたのは輪島直幸さん
一緒に体操のおにいさんを務めたのは、
輪島直幸さんです。
川原洋一郎さんの在任期間は1年間だけなので、
一緒に務めたのは輪島直幸さんのみです。
なんで1年で卒業してしまったんでしょうね~…
調べましたが、理由は分かりませんでした。
何かあったのでしょうか…気になります笑
卒業後は舞台やミュージカルを中心に活動
川原洋一郎さんは、
体操のお兄さん就任前の1971年から2017年まで
劇団四季に所属していました。
劇団四季で多数の舞台に出演し、
その後総合芸能プロダクションのGoenproに
移籍しています。
劇団四季時代の舞台で、
ライオンキングのプンバァ役を務めたりしていたそうです。
ライオンキングのプンバァといえば準主役なので、
すごいですよね!
8代目 体操のお兄さんは瀬戸口清文さん
8代目 体操のお兄さんは、
瀬戸口清文さんです。
7代目体操のお兄さんである川原洋一郎さんの卒業後、
代わる形で就任されました。
在任期間は、
歴代最長の小林よしひささんの次に長い13年間です!
5つの体操を担当していた
体操のおにいさん歴代最長の小林よしひささんが
担当した体操は2つ(ぱわわぷたいそう&ブンバボーン)でしたが、
小林よしひささんより1年短い13年間
体操のお兄さんを務めた瀬戸口清文さんは、
なんと5つもの体操を担当しました!
担当した体操はこの5つです。
・地球をどんどん 1974年4月~1979年3月までの5年間
・ようじ体操 スイッチ・オン 1977年4月~1979年3月までの2年間
・パラランたいそう 1979年4月~1980年3月までの1年間
・コケコッコたいそうPart1/Part2 1980年4月~1982年3月までの2年間
・ぞうさんのあくび 1982年4月~1987年までの5年間
(「地球をどんどん」と「ようじ体操 スイッチ・オン」は
2年間並行して行われています)
「パラランたいそう」が踊られたのは1年間のみで、
歴代最短です。
「ぞうさんのあくび」は、
瀬戸口清文さんが卒業した後も、
9代目体操のおにいさん天野勝弘さん、
10代目体操のおにいさん佐藤弘道さんに
継がれています。
その期間なんと14年!
歴代最長の体操です。
瀬戸口清文さんは、
歴代最短の体操も歴代最長の体操も
担当したお兄さんということになりますね!
そして、こんなにたくさんの体操を担当したのも、
後にも先にも瀬戸口清文さん一人だけです!
体操のお兄さん就任前は何してた?
瀬戸口清文さんは、
日本体育大学体育学部体育学科出身です。
就任された時は、まだ在学中でした。
体操のおにいさんになったきっかけをくれたのは、
当時指導してくれていた教授だったそうです。
教授に子供が好きか聞かれ、「はい」と答えると、
【おかあさんといっしょ】のオーディションが
あるということを聞かされ、受けるように言われたそうです。
言われるがままに受けてみたら
受かってしまったそうです笑
体操のおにいさんになる前は、
”大学を卒業したら、故郷の鹿児島で体育の先生になろう!”
と思っていたそうです。
教授にガラリと人生を変えられた、
いや、変えてもらったわけですね!
在任中の瀬戸口清文さんエピソード
瀬戸口清文さんが担当した
「ようじ体操 スイッチ・オン」は、
当時うたのおにいさんだった水木一郎さんが歌を担当し、
大きな人気を博したそうです。
13年という長い期間、
体操のおにいさんを務めた瀬戸口清文さん。
”セトちゃん”という愛称で呼ばれ、
とても人気があったそうです。
卒業後は何をしていた?
卒業後は子供関連を中心に、
様々な活動をされていました。
●「こどもちゃれんじ」の付録ビデオに出演
●NHKの幼児・子供番組の体操指導(「いないいないばぁ!」「おとうさんといっしょ」など)
●イベントに講師として出演
●CDを企画・監修・振り付け、そして発売
●保護者や保育者対象に支援活動
●大学の教授を務める
たくさんの活動をされていますね~!
株式会社メイトが毎年行うサマースクールの
体操部門の講師として出演されていて、
同社で「セトちゃんのうんとこどっこい運動会」という
CDを発売しました。
企画・監修・振り付け全てを
瀬戸口清文さんが担当されたそうです!
そして、日本遊育研究所を主宰しながら、
”子育て”をテーマに保護者や保育者を対象にした
支援活動を続けられていて、
年間100回も講演をされていたそうです!
更に、2002年~2015年の13年間、
大妻女子大学家政学児童学科の教授を務められました。
そして、2018年3月1日、64歳でこの世を去りました。
まとめ
19790年代は、
体操のおにいさん同時在任が終わり、
歴代最短の体操も歴代最長の体操も誕生し、
5つもの体操を担当するお兄さんがいたかと思えば、
たった1年しか在任しないお兄さんもいたりと、
たくさんの出来事がありました。
こうしてたくさんのことが起こり、
乗り越え形を作り、
今私たちが観ている【おかあさんといっしょ】の形に
近づいていったんですね!
基盤をつくってきてくれたおにいさんおねえさんたちに、
感謝感謝感謝です!!!
最後まで読んでくださり、
ありがとうございました!